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旅するねこ毛

月命日

月命日_a0091291_08473120.jpg
4年前の太助です。
可愛いなぁ~
昨日も夫と「太助みたいないい猫がうちにやってきてくれて
本当にうちらは幸せだったね」と話してるうちにまた泣いてしまった・・・


今日は太助の月命日です。
色んなことが重なり、ずいぶん経ったような気がしていますが
まだたったの一カ月なんですね。
相変わらず泣き暮らしています。
いつまでも悲しんでいてはいけないというのはわかっています。
だからなるべく普通に暮らしているのですが
ふとした瞬間に思い出してしまうとどうしても涙が出てしまいます。
もうそれは自然なことだから流れに任せようと思っています。

ある友人には「いつまで泣いてるん いい加減立ち直りなさいよ」と
言われてしまいましたが、急いで立ち直る必要があるのかな~
人と会うとどうしてもまだ明るい気持ちになれないので
友人とは会っていません 
励ますつもりで言ってくれたのはわかっていますが
いい加減立ち直れと言われるような月日はまだ経過していません。
それぞれに家族に対する温度差がきっとあるのだから
本音を言うとそっとしておいてほしいです。


さて、近況ですが。
一週間ほどヘルニアで入院しておりました。

覚えておられますでしょうか
太助の介護をしている時に右足が痛くて痛くてと書いていたことを。
太助が元気になったら
(看取ったらという意味だったのですがそれを表現するのは
嫌だったのでいつもそう言っていました)病院で診てもらおうとずっと
思っていました
そして太助が旅立った翌日にすっかり痛みがなくなり
たーくんが悪いの持っていってくれたんだ(^^♪と喜んでいたのですが
そうじゃありませんでした(>_<)

でも本当に何の痛みもなく、あれはなんだったんだろうと
思っていたら・・・
ある日激痛で立つことが出来なくなってしまい
のたうちまわる痛みで、悶絶し救急車で運ばれ
そのまま入院となり→手術となりました。

ヘルニアの痛みだったんですね
かなり大きなヘルニアだったらしく、MRIを見て
今からブロック注射をしてそれが効かなかったら
もう手術しかない ここまで大きいと無理でしょうと・・・
起き上がることすらできないのでストレッチャーで運ばれ
そのまま診察を受けそのままブロック注射です。

いや・・・あのブロック注射の痛いこと
気絶しそうになりました
ヘルニアの痛みと同レベルで痛かったです。
あまりに歯を食いしばるので歯が欠けるのを心配した夫が
ハンカチを口にかませてくれました

ブロック注射が全く効かずこの状態では
痛み止めも効かないからとそのまま入院しておりました。

そして無事手術を終え現在は自宅で療養中です。
そろそろ普通に生活していいのですが
まだちゃんと足が動かず、しびれも残っており
片脚を引きずってようやく歩ける状況
椅子に座るのも数分しか持ちません。

しばらくは仕事もできないので
この一カ月は自宅で安静にするつもりです。

ま、そのうち回復するだろうからそれはいいのですが・・・

病室でずっと考えていたこと。

太助が旅立ってからのことで良かったと思いました。
特に5月になってからはいつどうなるか分からない状態が
続いていたから目が離せなかったのです。
そんなときに私がヘルニアになんかなってしまっていたらと
思うとぞっとします。

今思い出してもあの痛みは尋常じゃありませんでした。
苦しくて痛くて大声で叫んで気を紛らわすしかなかったのです
それくらい痛かったです
あの痛みを表現するならばトンカチで骨を砕き
ヒビが入ったところに釘を差し込まれたような・・・
そんな感じです(イメージ)

こんなことに感謝するのはおかしいかも知れないけど
タイミングよく旅立ってくれた太助には感謝しています
最後までちゃんとお世話をさせてくれた
ちゃんと看取らせてくれた。
今思うのはそのありがたみです。

病室では自力で排泄が出来ないので入院後すぐに
尿管を入れられました
首をあげることすらできなかったので食事を運ばれても
寝たまま一口程度を口に入れるだけです
寝たままなので当然どんなものがあるのか分かりません。
寝たままなのでこぼしますし食べにくい
その他も何一つ自分ではできない状況に
太助のことを思い出しては泣いていました。

自分で動きたかっただろうに最後は動くことが出来ず
辛かったよね ごめんねと病室で毎日泣きました。

夫が見舞いに来てくれた時に太助の写真を持ってきてくれたので
部屋に飾ることで(個室だったので)少し元気も出ました。

今でも思うことは太助の事ばかりです。

悲しいことばかりではありません。
そういう存在が自分の人生にあったこと
これってとても幸せな事なのだと思っています。
命あるもの必ずいつかお別れがきます。
逆に死なない猫なんて怖いですもんね。

そして自分が先に逝くことだってある
そのことを思うと看取ることが出来て本当に
良かったと思います。

悲しい寂しいとまだまだ泣いてばかりですが
これも必要なことなのだと思っています。

入院中ずっと太助の祭壇のことが気になっていたけど
(夫に掃除をしてもらうようお願いしました)
退院して動けるようになってからはまた私が祭壇の掃除を
しています。落ち着くんです。

朝と夜にお供えを用意して、朝一番に掃除をする。
部屋の掃除はまだできないけど祭壇だけは
無理してでも私がやるようにしています。

おはよーたーくん!
食べてね^^
と必ず声をかけます。

そんな毎日です。

# by tidakapa-apa2006 | 2017-07-03 09:24 | ネコ

入院。

本日退院しましたが入院していました、
沢山コメントいただいているのでご報告まで。
いただいたコメント読ませていただきました
今回は返信しません ごめんなさい。

落ち着いたらまた。

# by tidakapa-apa2006 | 2017-06-22 13:04 | 日常

苦しみのない世界へ



苦しみのない世界へ_a0091291_09420383.jpg

苦しみのない世界へ旅立つ日のお昼のたーくん。


暗い押入れではなく冷たいお風呂場でもなく、狭い人間トイレでもなく
私のいる布団の上のクッションに横たわっていました。
もうこの時はお水も飲めなくなっていたので
この姿を見ながらもうそろそろお別れが近づいているんだな・・・と
思っていました。
まさかこの日だとは思っていませんでしたが。

水を飲みたいのに、何度水を運んで口元へ近づけても
口が開かない。口の中はいったいどうなっていたんでしょう。
舌がかなり痛かったのだと思います。
水がなんとか飲めてる頃でも、舌を出さずに吸い込むように
びしょびしょになりながら飲んでいましたから。


私はたーくんが苦しみのない世界へ旅立とうとしている時
半狂乱になり「行かないで 私を置いていかないでよ!!!!」と
泣き叫んだようです。
全く覚えていません。
夫がもうすぐお別れだから、挨拶してあげて!と言った際に
(心臓の鼓動が弱くなり、おそらくもう意識はない状態ですね)
夫が「太助 今までありがとう!ありがとうな!!」と何回も何回も
叫んでいるのを聞いてふと我に返り
「ありがとう!」とようやく言えたと思います。


たーくんの火葬が終わって、ふかふかの毛皮がいなくなり
お骨となって帰ってきてから

掃除を毎日するようになりました。

たーくんの祭壇を一つ一つ拭いて、お水とごはんは
一日に2回入れ替えています。
私の朝はたーくんの祭壇の掃除から始まります。
ここだけは絶対に一つの埃も許したくありません。



生前はとても苦しんでいたから
いつも「もう我慢しなくていいよ」と言っていたし
一日でも早く楽にさせてやりたい、寂しいけど
早く旅立たせてやりたいとあんなに願っていたのに
いざ、その時が来ると耐えきれずに
楽になろうとしているたーくんを引き留めたこと。

今日、写真を見つめながらようやく言えました。


ごめんね あんなこと言われたら気になっちゃうよね
本当にごめんね
今は沢山食べてゆっくり休んでるのかな?

などと・・・

話しかけていたら、またまた涙が出てきました。
一体いつになったら落ち着くのか。

会いたくて、会いたくて仕方がありません。
お骨を触っても堅いし、集めていた毛玉を触っても寂しい。
胸がきゅ~っとなるこの痛みをいつになったら
感じることがなくなるのだろう?

今は同じように猫さんを亡くした方のブログなどを読み
みんな同じように苦しんでるんだ・・・と勝手に慰められてます。

たーくんに、会いたいです。

苦しみのない世界へ_a0091291_10065330.jpg

本当に本当に可愛い子でした。
こんなに性格が良くて、穏やかな優しい猫さんは
私達にはもったいないくらいでした。

嫌な奴に出会った時や我慢が出来ないことがあった時など
夫も私もよく
「太助ならこうするだろうな 太助なら我慢するだろうな」などと
いつもたーくんを思い浮かべてその場を乗り切っていました。

会いたいなぁ。


# by tidakapa-apa2006 | 2017-06-13 10:14 | ネコ

一つの区切り

一つの区切り_a0091291_09590783.jpg
とっても可愛いたーくんのおむつ姿です。
おもらしをするようになった時にオムツの事を考えていました。
完全におもらしではなくちゃんとトイレでおしっこする。
でも体を見たら濡れているので あれ?と思ってみたら
漏らしていたという状況
このときは口の中から血膿が出ていたので相当辛かった状況で
おそらく尿意を催したが間に合わなかったというような感じだったのかな?

そんなこんなでオムツは頭をよぎりながらまだ、
自力でしているうちはと思ってました。
でも旅立つ2日前になると、もう殆ど歩けなくなっていたので
これは無理かな?と思い、オムツをしたその日。

こんな時に不謹慎だけど、あまりに可愛かったので
夫と笑ってしまいました。

オムツをする日が来るなんてと思いましたが
この日、むくっと起き上りトイレの方を見たたーくん。

おしっこだね?と言うと、なんとか立ち上がったので
慌ててオムツをはずしました。

そして抱いてトイレへ
もうおしっこをしているときもふらついて倒れこんでしまうので
支えながらのおしっこでした。

終わったらまた布団の上へ連れて行きます。

結局、たーくんにはオムツは必要ないんだね、と
オムツをはずすことにしました。

こんなことも、もうすべて思い出なんですね。




3日 お世話になった動物病院へ挨拶へ行ってきました。
ばーさんの健康診断も一緒に受けたかったので
診察も兼ねて。
とても忙しい病院なのに、まずはゆっくりとたーくんの話を
聞いてくれて、また、先生の思いもゆっくり話してくれて・・・
すぐに診察にはいらず、本当に親身に、お話をしてくださったのが
ありがたかったです。

お骨とかは・・・?と聞かれ
離れるつもりがなかったので自宅に置いてありますと言うと
僕もそうすると思います・・・とおっしゃっていたのが
ちょっとなんだかジーンときました。

色んな考えや事情があるので、霊園に納骨するのも
選択肢の一つです。
私達はそうしなかったというだけの事で。

10カ月に及んだ闘病生活のすべてがこの日で
本当の終りを見せたような気がします。
一つの区切りです。

でも、まだまだダメですね。
泣いてしまいます。無理はせず泣きたい時は泣く。

昨日は久しぶりに働いてきました。
仕事をしていると気がまぎれるのではと思い。
最初は大丈夫でした。

やっぱり仕事とか何かに没頭したほうが
気が紛れていいかも!と思っていたのですが
やっぱり仕事中に泣いてしまいました。
思い出すと涙が出ちゃうんですよね。

ゆっくりと生きていくしかありません。
この先、たーくんのいなくなった毎日を
どう過ごしていったらいいのかまだ分からないままですが
なんとか一日は終わっていくのです。

4年前のたーくん。
立派なブーちゃん猫でした。
いつも枕を使っていました。



一つの区切り_a0091291_10462777.jpg


# by tidakapa-apa2006 | 2017-06-12 10:52 | ネコ

今日で一週間

今日で一週間_a0091291_10211985.jpg
ある日の動物病院でのたーくん
朝の診察の時はいつでも一番ノリでした。
診察券を先に渡して順番取りをしていましたから。

怒ってます。
早く帰らせろニャー!
今来たばかりだから待ってねーごめんねー


本気で怒ってると思うのですが
この表情にこの耳 たまりません。
猫ってずるいよな~
どのパーツをどの角度で見ても可愛い。


たーくんは病院が本当に苦手で、呼吸が上がり、口呼吸に
なってしまうくらい、怖がってしまうので病院へ行く時は
なるべく待ち時間がないよう、頑張りました。
一旦朝に診察券だけ渡して、自宅に戻る。
そして朝一番に診てもらう。
家から病院が近かったらいいのだけど区が違うし
ちょっと遠いんですよね。
自転車で片道25分くらい。
今はそれもいい思い出です。

たーくんのことを思うと、胸がきゅぅーとなり
悲しみがこみ上げてきます。
泣くだけ泣いて・・・骨壺からたーくんのお骨を
取りだしました。
骨になっちゃったねー これはどこの骨かな?
小さくなっちゃったねー

と言いながら。

そして、私はその一部を食べたくなったのです。
ちょうど小さく良いサイズがあったので・・・
私の一部にしたい これでずっと一緒だねと思い
骨を口に入れようとしました。

でも、どうしても出来ませんでした。

たった一つでもそろっていなかったら
たーくんがお骨を探すんじゃないかなと思ったのです。
私達は責任を持って、覚悟を持って骨を引き取りました。
何よりも大切なものです。
たーくんがいつでも戻ってこられるように
そばにいられるように、と願いを込めて。

その大切なお骨を、私が食べることで
なんか、体おかしいにゃーと思うかな?
そんな思いで、なんとかとどまりました。

帰宅した夫に、太助の骨を食べようとしたけど
寸前で思いとどまったよ と話すと

良かったよ 絶対食べたらダメ!
一部でもかけたら太助がかわいそうだ

と言われました(^-^;そりゃそーだ

今日で一週間_a0091291_10331505.jpg
冷蔵庫ブームの時のたーくん。

そういえば旅立つほんの数日前にこれまた不思議なことがありました。
もうほとんど介助なしで歩けない状態になっていたたーくんが
フラフラになりながら「思い出巡り」を始めたのです。

押入れブームの時の押入れに行き・・・
自分では行けないのでそっち方向へ行こうとしてるなと
分かったので抱いてブームの時に休んでいた場所へ
連れていってあげました。

そして、次はベランダへ行くという。

最初はなんで押入れに?と思ったのですが
次に「ベランダに行く」と目で訴えてきたときに
「ああ、今まで行った場所へ行きたいんやね」と分かりました。

ベランダへ出してやると数分でしたが
気持ちよさそうに目を閉じていました。

次はどこ?たーくんの言うことちゃんとわかるから
かーさんに「あそこ」ってちゃんと言ってね

というと、今度は冷蔵庫を見上げました。
分かったよー冷蔵庫やねー
でもたーくん かーさんの肩に乗る体力ある?

冷蔵庫に乗るときは、いつも私たちは肩を太助の高さまで
下げます すると太助が両手を伸ばして肩にしがみついてくるので
それをひょいと抱き上げるのです。
その両手を私たちに伸ばす仕草もいつも胸がキュンとなる
愛おしい仕草でした。

しばらく、体力を集めているのか冷蔵庫前で
じっとしていた太助は、頑張って両手を伸ばしてきました。

よっしゃ~じゃぁ冷蔵庫ノンノしようねーと
乗せてあげると、しばらくそこで落ち着き・・・

次は人間用のトイレです。
ここは闘病初期によく入ってたよね~

そして玄関へ

これで太助の思い出巡りは終わったようで
満足げに元の位置へおさまりました。

何となくですが、たーくんは自分の死期が
分かっていたのかも知れません。
もしくは、とーさんとかーさんが絶対にいる時間に
出かけようと思ってくれていたのかも知れません。

深夜だったら時々寝ちゃってしまったこともありましたし
平日の17:55だと夫はいません。
土曜日のあの時間だったから、ちゃんと2人でしっかりと
見送ることが出来たのです。


色々、勝手な解釈してますね。
でも、そうとしか思えないのです。

本当に、本当に、可愛い猫さんでした。

# by tidakapa-apa2006 | 2017-06-10 10:36 | ネコ



どうせ迷路なら          笑って行こうぜ       

by tidakapa-apa2006
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