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旅するねこ毛

ご報告

私達の大切な太助が昨日17:55に旅立ちました。

自身の気持ちの整理をするために最期をきちんと
記録しておきます。長いです。
苦手な方は読まないでください。



食事を摂らなくなって約2週間 
この数日は水すら飲めなくなっていました。
食事しようという気持ちはあったのか、私のしつこい攻撃に
付き合ってくれたのか分かりませんが、口をつけようとするのですが
とにかく口が開きません。
顎のあたりを触るとしこりのような腫瘍なものが大きくなって
ぶよぶよになっているのが分かりました。
匂いもすごかったです。

顔を上げる力がないし、口が開かないので水を飲む時も
顎から先につけて、勢いで口を水につけて、舌が全く出ないので
すするような感じで飲んでいました。
顎と手が水浸しになるのでその都度タオルで拭くのも日課になって。

昨日の朝 意識はしっかりありました。
辛そうではあったけれど、「たーくんを元気にするお注射しようね^^」と
日課である吐き気止め入りの点滴、抗生剤とステロイド注射をすませたあとは
毛布にくるまって寝ていました。

そして昼過ぎに夫が帰宅し、
「水曜日までの薬もらいに行ってくる」と
出かけました。
(食べない水も飲まない状態が続いていたからいつどうなるか
分からなかったけど4日後にまた薬を取りに行くつもりでした・・・)
その時に足のかかとと肉球がすれて赤く血がにじんでいるのに
気付いたので(床ずれのようなものだと思います)
少しでも痛くないように、と思い、症状を話して先生に塗り薬か何か
あるならもらってきてほしいとお願いしました。

そういう状態なら塗り薬とかではなく包帯とかで足を保護してあげたほうが
いいかも知れませんね^^とのことでした。

夫が薬をもらって帰って来るまでの間に痙攣が起こりました。

たーくんはその時酸素ルームから離れたところにいたし
どうしようどうしようと見守っていると、けいれんはすぐに治まり
しばらく苦しそうに呼吸をしていたので酸素を吸わせたら
ふぅーと少し呼吸が楽になったようでした。

そして夫が帰宅して2時間くらいしてから
またたーくんの呼吸が怪しくなり、口呼吸をするようになったので
酸素ルームへ連れて行きました。

その時、覚悟はしていたつもりです。
一日に2回も危険な状態になるなんて、今のたーくんに
持ちこたえる体力はもう残っていないと。

しばらく酸素ルームで過ごしてくれましたが
また出てきて私たちの方に来ようとしました。
このときすでにもう歩けなくなっていて、一歩歩くと
バタン、と倒れる状態です。
それでもたーくんは這いつくばる感じでこっちへ来ようとしました。

酸素ルームに連れて行こう!とまた入れたのですが
体力がないのに嫌がってすぐに出ていこうとします。


「こんなに嫌がってるからやめよう。行きたいとこに
行かせてやろう 手伝ってやろう」


本来なら動ける状態ではないのに、いつでもたーくんは
ここへ行きたい、と意思表示をする子だったので。


酸素ルームから出してすぐに、軽い痙攣が始まりました。

とても短い時間だったと思います。
それを見た時に、これが最後かも、と分かりました。
けいれんはすぐに治まり、少しだけ呼吸が荒くなり・・・
夫は酸素チューブを必死で口元へ近づけてくれていましたが
それすらもう必要ないという感じでした。

そしてゆっくりゆっくりと心臓が止まり
穏やかな顔で眠るように息を引き取っていきました。

この時のことだけは覚えているのですが
私自身、ものすごく取り乱し半狂乱になって
号泣してすごい状態だったようです。

覚悟していたのに、
穏やかに息を引き取ろうとしているたーくんを
お願いだから置いていかないでよ いかないでよ!!と
叫んでいたようです。
迷惑な飼い主ですね(-_-)

でも、少し冷静になる瞬間もあり、完全に息を引き取る前に
17年間ありがとう!といえました。

息を引き取ってからしばらくの記憶がありませんが
私かなり激しく取り乱し、夫も泣きたかったのに
私が半狂乱になっているので泣けなかったようです・・・

その後、病院へお知らせし、葬儀の手続きもすべて夫が
してくれていました。

葬儀のことはずっと考えてましたし必要だと分かっていましたが、
下調べをすることで
「もう準備ができた?じゃぁーワシそろそろいってもいいかにゃー」と
たーくんが離れていってしまいそうで怖かったのです。
それは夫も同じ気持ちだったと思います。

今日も、いつも通りに点滴と注射をするつもりでした。
使わなかったまま残された点滴と注射どうしてくれるのよ たーくん。
お金だけ払っちゃったじゃないさ!


昨夜は、たーくんにもう一度気持ちを伝えました。

17年間いつも寄り添ってくれてありがとうね。
長い闘病生活も、
私たちの気持ちに毎回応えて頑張ってくれて
本当にありがとう
楽しいことしかなかった。
たーくんのいない毎日を想像できなかったよ。
でも、やっと苦しみから解放されるね。
水もいっぱい飲めるし、おいしいものも食べられるね。
いっぱい我慢させてごめんね。
たーくんがうちに来てくれて感謝してます。
必ず会いに行くから待っててね 
幽霊でいいからたーくんも会いにきてね。
どんな姿になっても、ずっとずっと一緒にいたかった。
お疲れ様でした、本当に、本当にありがとう。


たーくんが息を引き取ってから、ばーさんが
たーくんが亡くなった方の空間をじーっと見ていました。

夫が「太助はあっちで死んだから、もしかして太助がまだ
あそこにいるのかな」と言っていました。
オカルトチックで、都合のいい考え方かも知れないけど
もしかしたらそうなのかなと私も思いました。

夜は当然食欲なかったけど、通夜ぶるまいしようと
たーくんを見ながらビールを飲み、枝豆を食べました。
味なんかしないのに、夢中で冷凍の枝豆を私は
一袋食べ続けました。

たーくんの葬儀は明日の午前中に行います。

それまで絶対腐らないよう、沢山の保冷剤で
たーくんをガードしています。

今、私がたーくんに出来ることはこれしかありません。


これまで応援してくださった皆さまありがとうございました。
コメントはなくとも、闘病生活が始まってから
毎日たくさんの方が読んでくださっているのが分かり
とても励みになりました。

5冊に及んだたーくんの日常を綴ったノートも
昨日で終わりです。
つい、ノートを手にとってしまい、
もう書くことがないんだとハッとさせられるのですが。

神様なんていないんだとずっと思っていて
いないなら何に祈ればいいんだよ!
こんないい子をなんで病気なんかで苦しめるんだと
ずっとずっと繰り返し思っていましたが
最後の最後は穏やかに旅立ったので
これが神様からのプレゼントだったのかなぁ。

出来ること、思いつくことはすべてやり切りました。
治療に関しては、後悔はありません。

じーさんじーさんと書いていたけど、
太助くんという優しくて、思いやりがあって
食いしん坊の甘えん坊の17歳の猫は
苦しみのない世界へようやく旅立つことが出来ました。

by tidakapa-apa2006 | 2017-06-04 10:10 | ネコ
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どうせ迷路なら          笑って行こうぜ       

by tidakapa-apa2006
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