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旅するねこ毛

世界屠畜紀行


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食べるとはいのちをいただくこと。

肉を食べている人で、それがどのようにして
肉になったかを理解している人はどれだけいるのだろうか。
スーパーでパック詰めされたお肉を私たちは普通に食べているけれど
その裏には屠殺を行なう人、人間の食べる肉になるために
殺されている動物たちが必ず存在する。
そんな当たり前のことで、気づきにくい部分を
クローズアップして書かれた本。
著者は何とこの屠殺に関わる全てを実費で行なっていたそうで
屠殺の現場を見るのはもちろん、屠殺を行なう人にも
取材をしており、それはもうなかなか壮絶なものだったりする。

著者はこの本の中で「屠殺」という言葉を使わずに
屠蓄と言う言葉を使っている。
屠殺という言葉の中の「殺」という響きがネガティブな
イメージがある、という理由で。

この本を読んでいくと、屠殺行為を屠蓄という言葉で
表現したいという著者の気持ちはよく分かる。
分かるのだけれど、単に言葉のイメージだけで
実際はやはり屠殺だよなぁ・・・と思う。

私たちが生きていく上で動物の命を奪っているのは
紛れもない事実なのだし、動物たちは誰も好き好んで
「どうぞ私の肉を食べてください」と身を差し出しているのでは
なかろう。やはり殺されているのだし。

この本では、韓国、バリ島、エジプト、チェコ、モンゴル、インド、アメリカ、沖縄、東京などの
屠殺場を訪ねて取材を行なっている。
食文化や歴史、差別問題まで鋭く突っ込んでいるので、思わず真剣に
読んでしまうのだが、動物が肉になるまでの過程はかなりグロいので
血とかそういうのが苦手な方にはつらいかも。
私も読んでて思わず顔をしかめている・・・なんてことが多々あった。

食べるということ、肉を食らうということを
真正面から向き合って考えさせられる本だったなぁ・・・

私がよく思うのはこの本でも出てきているが犬を食べるということ。
韓国の人は犬を食べる。(ベトナムでも食べるよね。)
日本でも昔は犬を食べていたらしいし・・・
犬はおいしいらしい。
だけど私は犬を食べたことがないし、今後も食べるつもりは今のところない。
今までに何度か犬を薦められたことがあり、そのたびに断ると
必ず「かわいそう?」と聞かれる。
そうではなく、犬を食べる人、文化に偏見は全く持っていない。
どんなにおいしいと言われても私はグルメじゃないし、お金を
出してまで食べたいと思わないのだから「食べない」
ただそれだけなのだがなかなか伝わらない。
今すでに口にしているものたちで十分ということなのだ。

家族同然のようにかわいがっている人もいる「犬」という生き物を
食べてしまうことが残酷とか、かわいそうという人の気持ちも
やっぱり分かる。
私だって猫は家族として暮らしているし、猫を食べる国があると
やはりぎょっとしてしまうし、食べることはできないだろう、と思う。
だけど、犬や猫は「かわいそう」で、牛や豚は食べても、殺してもいいのか?など
思うとわからなくなってくる。
食文化を否定するつもりはないし。
でも、そんな自分をひどく矛盾しているなぁとこの本に
気づかされ、ちょっと自分がイヤになってしまうのですな。

そしてここに出てくる差別ということ。
屠畜に関わる人に対する差別のことを書いているのだが
これは国によって様々だった。
あるところもあればないところもあるという。
昔は身分の低い人が屠畜をやらされていた、という話も書いてあった。
差別といえば、私が子供の頃父親は養豚場で働いていたのだが
そこで何をしているかは知らなかった。
だけど仲良くしていた友達がある日突然「アパちゃんと友達やめる」と
言ってきたので理由を訊ねると「お母さんがアパちゃんのお父さんは
良くない仕事をしているから遊ぶのはやめなさいって」と聞かされたことがあって
当時は意味が分からず、帰って父親にそのことを話すと
父親は「くだらない」とただそれだけ言った。

養豚場で働いていたので、豚の飼育などを見ることが出来て
そこにいた子豚と毎日遊んだりしていたのだが
ある日肉にされるために連れて行かれる豚を見て
姉と二人で必死でとめたことがあった。
殺すために連れて行くのだ、と周りの大人に聞かされていたので
それはもう子供にはものすごいショックだった。
毎日遊んでかわいがっていた豚たちだ。

ある日、豚をつぶすところを目撃したことがある。
その豚は天上からさかさまに吊られており
無言だったので生きているのか死んでいるのか
分からなかった。
しかし担当者がナイフのようなもので腹を裂いた瞬間
豚の悲痛な鳴き声が響き渡り、ものすごい出血で
豚は鳴き続けているしで壮絶な場面だった。

おそろしくなりそのまま帰宅した私が
肉を食べなくなったかというと全く逆で
今食べている肉はああやって出来ているんだ、と
真剣に考えながら肉を食べていた。

まだ命というものを深く考えていなかったのかも
知れないな。
きっと今見た方がショックだと思うから。

屠畜について詳しく知ったから、肉を
食べることに感謝する、というのは私にはよく分からない。
だって動物は好きで捧げた命ではないと思うから。
生きたかったに決まっている。
うまく言えない。自分でも混乱してしまって、自分がどう
感じているのか分からないので、中途半端で申し訳ないのだけど
ただ、食べるということに「ありがたい」という気持ちは
こめている。
動物の命に感謝することと同じようで感覚としては違う。
自分でも説明がつかない。

だけど思うことは、肉に限らず野菜も。
みな血が流れず、涙を流さないだけで同じように生きているのだということ。
昔読んだ漫画で大根が引き抜かれるときにギャー!!と悲鳴をあげているものがあって
それが妙にリアルで怖かったのを記憶している。
ただ、野菜に関してはやはり感情移入がしにくいということから
動物に感じる思いがこめられないのが本当のところだ。
by tidakapa-apa2006 | 2009-06-15 17:36 | 本・雑誌
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どうせ迷路なら          笑って行こうぜ       

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